起立性調節障害による欠席や受験挫折だと親戚の集まりが憂鬱

このブログを書いているのは年末でもうすぐお正月。

子供にとってお正月はお年玉がもらえてご馳走食べれてと嬉しいでしょ?とイメージがありますがお年玉をもらわなくてもいい・お年玉も欲しくないから親戚の集まりに行きたくない、という子供がいることも子供目線で書いておこうと思います。僕の場合親戚の数も少ないし僕の状況をわかっているのですが、遠く離れた地方の親戚一家はとても優秀で誰もが自慢できる人たち。

僕の近くの親戚の橙ちゃんは起立性調節障害ではないけどそちら側のように自慢できる生き方(高学歴→公務員)をしていないせいか社会人になってから好きなことを仕事にして落ち着かない事を批判ばかりされて肩身が狭い思いをしてきたことがあるらしい。

そういうことから起立性調節障害で学校に行けてない子とか思うような高校や大学に行けない子にもこの肩身の辛さは言えることじゃないかと思います。

正月の集まりだけでもなく、法事の集まりでもそうですが、親戚の集まりがあると話題に出るのが近況の質問。特に子供に対しては進路や成績、就職活動に関する質問です。格別知りたいわけではないのにその場の会話を作るための質問。

自分の孫よりいい成績だと僻んで粗を探し、自分の孫より劣っていると機嫌が良くなる。ドラマみたいだけど実際にあるとは驚きます。

起立性調節障害に対する理解もなく学歴や職業で人の評価をする人たちは自分たちが正しいと信じるエリートコースを外れているということで無意識に見下す傾向があるらしい。

  • 頑張って!本当は頭いいんだから気合い入れたら大丈夫。
  • なんで?学校行かなきゃいけないでしょ?
  • お母さんやお父さんの気持ちを考えて

などと無神経に言われることがとてもズシズシ心にダメージを食らい、橙ちゃんの言葉を借りて失礼を承知で屁理屈を言うとお年玉も欲しくてもらっているわけでもないのにありがとうと言わないといけないし、いろいろ説教されるしそれならお年玉いらないから上辺の会話で傷つけられることを避けたい。

親も相手から家族の学歴自慢のマウントを取られるから子育て非難で嫌な思いをすることもわかるし、申し訳ないから体調が悪いといって集まりを避けたくても慣習なのか親戚の集まりに顔を出さないこと自体が常識外れというレッテルになるので無理にでも連れて行かないといけない。起立性調節障害の理解のない人は『お年玉もらうだけもらって礼儀がない』など言いかねないらしい。

想像しただけで辛い。自分のせいで親まで肩身が狭いのは苦しい。でもきっとこういうこと、実際あるんだと思う。相手に悪気はないのはわかっているし、こちらが自分に自信がないから余計に傷つくだけなんだろうけど、やはり起立性調節障害の無理解の親戚の集まりは精神的にとても負担がかかるんだと思う。

ちなみにその親族の中に、不登校の子が1人いて、そのおばさんたちはその事実を隠して優秀だと嘘ついています。もしかすると遠い血のつながりの遺伝かも知れませんが隠されていたら親同士シェア出来ないので解決しませんね。


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