僕は中学校の時に起立性調節障害により朝起きれない状態になり学校に行けなくなってから運動会や遠足(課外授業)などの学校行事は不参加で修学旅行も卒業式も参加していません。していないというか参加できなかった、という言い方が正しい表現です。
今回は起立性調節障害で修学旅行や家族旅行に参加するか否か、体と心の葛藤について記載します。
起立性調節障害で修学旅行の参加は?
※僕が卒業式に参加しなかったことについて過去に書いたブログを添付しておきます。
起立性調節障害で修学旅行はプレッシャーとの戦い
起立性調節障害では不安な修学旅行の話も一緒に書いていますが起立性調節障害は自分の心では起きよう、ちゃんとしよう、と思っていても身体をコントロールできない為、団体行動に大きく迷惑をかけてしまうプレッシャーがのしかかります。
- 朝起きることができない
- 吐き気やめまいで食事が食べられない
- 乗り物酔いをする
- 長く歩くことができない
- 周りの時間を奪ってしまう罪悪感
など、普段から抱えている症状が旅行中に耐えられるかどうかわからない不安が募り、先生がいてくれたとしても申し訳ないし恥ずかしさもあります。
起立性調節障害でも修学旅行は元気に参加できる人もいる
もちろん人によっては修学旅行や文化祭や遠足などの通常授業とは違う行事の時には元気になって朝から参加できることもあります。
行きたい、行かなきゃと思う気持ちがあれど行けなかった僕からするとそれだけでもいいなと思うこともありますが、それはそれで緊張するし周りの受け取り方も気になるし、普段さぼってるんじゃないかとか、こういうときだけ参加してズルいと思われないかなど色々考えるとさらに落ち込んでしまって本当は行けそうだけど参加を辞める人の気持ちも痛い程わかります。
僕は修学旅行不参加で良かったと思っている
学生らしい思い出作りがいるかもしれませんが、僕にとって起立性調節障害の症状で自分もしんどいし周りに気を遣わせたりペースを乱したりと迷惑をかけることも考えると、プレッシャーも高まるし悪い思い出になるかもしれないのでいかない選択をしていて今は良かったと思っています。
あとから後悔するかもしれません。しかしどちらにしても中学校は越境通学だったし、2年生の途中から学校に行けていないこともあり、ほぼ仲の良い友達もいなくなっていたので楽しい旅行の想像もできないので、僕がおかれている環境だと行きたかったなあっと思うことはないように思います。
ただ大人になってから学生時代の団体行動での旅行という経験をしてみたかったと思うことはあるかもしれないですね。
起立性調節障害で家族旅行は行けるの?
起立性調節障害になると朝起きれない、学校に行けないなどといった症状が出ますが家族の旅行の場合だと元気に行けることもあるし、症状に合わせて家族が協力してくれたオリジナルプランの旅行などだと大体行けるのではないかと思います。
これは家族との関係性にもよりますが、起立性調節障害に対する親の理解がない場合で兄弟もいる時には、自分のせいで家族旅行に行けないことを責められたり、兄弟が僕の都合に合わせないといけない為、制限や我慢をさせてしまうことで喧嘩や落ち込みが発生したり、マイナスに陥ることもあります。
- 自分がいなければよかった
- 自分の存在は家族にとって迷惑だ
- 僕を置いて旅行にいってもらう方が気が楽
と考えたり、逆に
旅行だけ元気っておかしいよね?と元気じゃないふりをし続ける心理も働くそうですがわからなくもないです。
ちなみに今年のゴールデンウイークの家族旅行は僕だけ行きませんでした。その方が気楽でいいです。
旅行で元気になっているときに言ってはいけないこと
修学旅行でも家族旅行でも元気になっていることで起立性調節障害が治った、と喜ぶ親がいます。そこでついついこんなことを言ってしまいます。それは
『元気になったから明日から学校に行ってね』『良かった、病気が治って』『明日は朝起きてね』
といったもう治ったから大丈夫だと決めつける言葉です。
もちろん本人も元気が出て治ったと勘違いをして翌朝は起きれるかなっとちょっと期待するも、やはり起きれない時に『昨日約束したじゃない、昨日は元気だったのに』『旅行だけ行けるっておかしいよ』と悪気がなくても責めるのはやめてほしい言動です。なぜなら自分が一番感じているから。
なぜ旅行や遊びには行けるのに学校になるといけないのか?自分でも思い悩んでいるし、さぼりとか嘘つきだといわれるかもしれないことにもうすでに傷ついているからです。
お願い事ばかりで申し訳ない
起立性調節障害の体験談として、周りに理解を求めてお願い事ばかりして申し訳ないと思っています。周りが合わせてくれたことで自分が何を返せるか?何もできない自分に落ち込みますが感謝の気持ちを忘れずに回復した際には自分が相手のことに寄り添ったり味方でいる自分でいたいと思います。